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2019年02月13日
コラム/最適物流の科学④
最適物流の科学
弊社社長の菅が、2017年12月に『最適物流の科学―舞台は3億6106万平方km。
海を駆け巡る「眠らない仕事」』という書籍を出版しました。
そこで、本ブログでも、その書籍から抜粋した内容を
毎週1話ずつ、ご紹介していきたいと思います。
第四回となる今回は、第2章に書かれた日本の貿易の歴史のつづきについてご紹介していきます。
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先に紹介した日本郵船会社と大阪商船会社の二社は、時代の潮流に乗って著しい発展を遂げていきます。
日本郵船会社は1893年、日本初の遠洋定期航路となるボンベイ(インド)航路を開設。さらに、欧州、北米、豪州に定期航路を拓くなど、事業を拡大していきました。
一方の大阪商船会社も、台湾、北米、南米、欧州などに航路を広げていきました。
両社ともに規模を拡大できた背景には、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦などがありました。これらの戦争によって物資の移動が盛んに行なわれたのです。第一次世界大戦が終わった頃の日本は、イギリス、アメリカに次ぐ海運大国になっていました。
「太平洋戦争によってゼロからの出直し」
しかし、太平洋戦争に突入すると、その勢いに陰りが見えるようになります。
1942年になると、すべての船舶が国に徴用され、貿易のための海運ではなく、戦争のための物資と兵士を運ぶための海運となります。
海上を航行する船舶は、アメリカ軍の標的になり、大量に沈没しました。太平洋戦争によって失われた商船は、資料によって異なりますが、2千数百隻にのぼるとされます。亡くなった商船の船員(100総t以上)は、財団法人海上労働協会の調査では3万592人となっています。
戦争によって日本の海運業は壊滅的な打撃を受けました。戦時中は徴用された船舶が損害を受けると政府からの補償が受けられましたが、それも終戦と同時に打ち切られました。
戦後、日本の海運業界はゼロからの出直しを迫られたのです。
戦後しばらくの間は、日本の海運業は連合国の統治下にありましたが、1950年にすべての船舶が返還されることになりました。
同年、外国航路が復活したり、沖縄航路が開設されたり、日本の海運に光明が見え始めます。そんな中、朝鮮戦争が勃発し、大量の物資が行き交うようになります。これは、海運業界の復興への大きな足がかりになりました。
「世界的な海運不況によって国内各社が再編成」
さらにその直後の1956年、エジプトのナセル大統領が、スエズ運河の領有を宣言。利権を持っていたイギリス、フランスとの対立が激化し、スエズ運河が閉鎖されました。
これにより、大量の船舶が喜望峰回りを余儀なくされ、世界中で船舶の絶対数が足りなくなったことで海運市況は暴騰。このスエズブームは日本の海運を飛躍させる要因となりました。
しかしその後、スエズブームの反動で、世界の海運業界は大不況の波に襲われます。この頃、大型タンカーなどの専用船をはじめ、船舶が大量に建造されすぎて供給過剰になったことも海運業界の大不況の一因でした。
日本中の海運会社の経営が悪化する中、一九六三年に国会で海運業界の再建に向けた海運再建二法が可決・成立しました。これによって、日本の海運業界は再編成の時期に入ります。
吸収合併によって最終的に、日本郵船、川崎汽船、大阪商船三井船舶、ジャパンライン、山下新日本汽船、昭和海運の「中核六社体制」に集約されました。
以後しばらくこの体制が続きましたが、1980年代の後半に入ると業界に新たな変化の波が押し寄せます。そのきっかけとなったのが1985年9月22日の「プラザ合意」です。ニューヨークのプラザホテルで行なわれた先進5カ国(G5)蔵相・中央銀行総裁会議で発表された、ドル高是正に向けた合意により、以後円高が進行することになります。いわゆるバブル景気の幕開けです。一般には、バブル、イコール好景気というイメージで捉えられがちですが、外航海運業界にこの図式は当てはまりません。なぜなら、外航海運会社は収入のほとんどがドル建てのため、円高になると収入が目減りします。また、輸出製品の競争力がなくなり、荷量が減るのです。
不況の荒波に直面した外航海運各社は、厳しい状況を脱却すべく、新たな道を模索し始めました。まず、中核六社の一角を占めていた昭和海運が、1988年7月に定期航路部門から撤退します。同年10月には、ジャパンラインと山下新日本汽船が定期航路部門を分離し日本ライナーシステムを設立します。さらに翌年六月には両社が合併しナビックスラインとなりました。一方の日本ライナーシステムは、1991年には日本郵船に吸収合併されます。1998年には、すでに定期航路部門から撤退していた昭和海運も日本郵船に吸収合併されます。その翌年には、大阪商船三井船舶とナビックスラインが合併し、商船三井が設立されました。
こうした一連の動きにより、中核六社体制は崩壊し、外航定期航路を持つ日本の船会社は、日本郵船、川崎汽船、商船三井の3社となりました。この3社は、1990年代半ば以降、それぞれ海外の外航海運会社とアライアンス(同盟)を結成し、厳しい国際競争の中で生き残りを図ってきました。
そして2017年7月、この3社がコンテナ船事業を統合して新会社「オーシャン ネットワーク エクスプレス ホールディングス」を設立するという大きな動きがありました。これは、世界最高水準のネットワークで90カ国以上を結ぶ「次世代の海運の誕生」というべきトピックスです。
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つづく。
次回は、世界経済という大きな枠組みを出発点に海上輸送とそれを担うコンテナ船についてさらに踏み込んでいきます。
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最適物流の科学――舞台は3億6106万平方km。海を駆け巡る「眠らない仕事」
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投稿者
ジャパントラスト株式会社